神さまのいない日曜日#12「三年四組 III」(終)

 三年四組編、完結。
 最終回、と言うよりは、「三年四組編」が完結、と言うほうがしっくりくる。まあ、原作が継続中の作品ゆえ、ある程度覚悟はしておりました。
 それにしてもCパートの唐突感は半端なかったですが!
 これで終わって、BD/DVDに収録される第13話はどうなるのか気になるなぁ。普通に考えて、番外編的エピソードになるとは思うのですが、後日談だったりしたらさらに荒れそうな。ううむ。
 情報が無いのが困りもの。っていうかこの作品、公式(広報)がやる気なさすぎ。いまどき公式ツイッターアカウントも無いってどうなんだか。その分、声優の出る実写情報番組の配信は熱心ですけれども。……角川らしいなぁ。もう。
 しかもこの情報番組で作品についての補足説明がされているとか、どうなんですか。もう。

 とか、愚痴はさておき。
 エピソードそのもののどんでん返しには、なかなかに驚かされるもので、面白うございました。ここで明かされた真実を胸に、もう一度、ゴーラ学園編から見返してみたい。と、思わせてくれる。
 三年四組の「死者」の正体。
 ループの原因として作用していた感情、想いの行く末。願い。

 エピソード完であって、物語は完結せずに終わったわけですが、最初から最後までテーマとしての「願い」と、それがアンバランスに、歪な形で叶えられる、ということは徹底されていたので、不統一な感じ等は無く、自然に見ることが出来ました。
 とてもマイルドな『猿の手』の変形として。

 アリスの生還と、ハンプニーの不帰は、対照にして対であった、と受け取ることも出来ますし。
 であるならば、ハンプニーハンバートの際は彼の願いが優先され、またアイも優先し、アリスの際はアイの願いが優先されたと?

 ぶっちゃけ、アリスはあそこで消滅していた方が、物語のおさまりとしては美しくはありますが。そこで意地汚く(と、あえて言う)生き残ってしまった、生き残らせてしまった、というのも、この物語の持つ歪さの別の面なのかもしれないな……と。
 だいぶ贔屓目、というか好意的・肯定的な視点から見ております。自覚の上です。それくらいの愛を、私はこのお話に対して、注いでおりますので。

 だって、アリスというキャラクターの在り方は、ハンプニーに負けず劣らず、哀切なものであったから。
 ディーに語った、犠牲を出すことも厭わないという言葉。それは、自分自身のことだった。ループを終了させるため、自分自身の死を確定させるために、ずっと動き続けてきた。
 その心境は如何なるものか。
 ええ。ツボです。こういうシチュエーション。ええ。

 全体を通して、物語と世界の観念的かつ退廃的な美しさには、目を見張るものがありました。
 甘ったるさが先に立ち、整合性を欠く部分も多々ありましたが、その歪みが魅力となっている箇所も多く。時に鋭く帳尻を合わせてくるストーリーの切れもあり。
 登場人物がみな真摯で、誠実で、韜晦することなく(していてもどうしようもなく無器用であり、また必ず「誰か」のためであり)、愛すべき人物だったことが、何よりも嬉しかった。

 世の中的には、評価は芳しくないでしょうし。このラストで、さらに振り落とした感もありますし。原作ファンには、駆け足すぎて物足りないでしょうし。アニメからの視聴者には、説明不足すぎてやはり物足りないでしょうし。

 しかし、その瑕疵も込みで、私としては、やけに愛してしまう作品となりました。
 ことに『死の谷』編は掛け値なしで、この先もずっと記憶に残り、愛する作品になることでしょう。
 ハンプニーハンバートと、彼の言葉とともに。

 スタッフの皆様、素敵な作品をありがとうございました。

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『神さまのいない日曜日』Blu-ray 1
 どんだけやる気ないって、このジャケットイラストが掲載されたのが発売日前後あたりってとこがもう。もうもう。しかもぺらっと一枚だけ。普通なら中身とボックスと、展開図とか出すでしょーが。
 ……角川の再編のあおりを食らって中途半端に発進した企画、という可能性もあるのかな。などと、ふと思いました。ちょいと穿ちすぎですね。

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