PSYCHO-PASS サイコパス#21「血の褒賞」

 ひとつの物語を綴るにあたっての、ここまでの段取りについては、いろいろと物申したいこともありますが。
 極限状況における人間模様。ドラマ。すべてはそのためのマクガフィンに過ぎない、と割り切ってしまえば、こんなに面白いものはないってレベルで面白いです最近のサイコパス。楽しんでいます。

 二手に分かれた一同。ノナタワーの件を思い出して、わりと嫌な予感がしましたが。戦力分散はいかんよ。学習しようよ朱ちゃん
 しかし、少人数になることにより、感情のやりとりは逆に濃さを増す。

 まずは、インターミッション的に、朱という人物の変遷を振り返る。それを、六合塚の口から語らせるというのが、実に美味しい。以前の過去回を考えるに、六合塚が同性を見る目……批評眼、あるいはもっとエモーショナルな意味にせよ……については、いろいろと深読みが可能ですから。

 他方、宜野座と征陸の親子組。ヘタレは相変わらず、どころか加速する一方の、拗ね拗ねな宜野座ですが、その拗ねっぷりを表に出してしまっているあたり、精神的に弱まっているのだな、と。サイコパスの悪化により弱まったのか、弱まったからサイコパスが悪化しているのか。
 この親子については、関係を明らかにする過程、明らかになってからの二人の空気感、狡噛を挟んでの幾重にも錯綜する対立構造、と、実に美味しく味わってきたものですが、最後の最後まで美味しく、苦く甘く。堪能させていただきました。

 あと、ここはメガネスキーとしては声を大にして叫んでおきたいのですが。
メガネを外す(外れる)イベント、素顔とのギャップイベントに、これだけの意味を持たせてくれた!という感動。
 素晴らしかった最高でした。
 メガネによる印象のフィルター。そこに、父と息子の相似が隠されていた。血が隠されていた。
「メガネがなければ即死だった」というネタフレーズがありますが、文字通り、クールぶった宜野座の本体はメガネであり、メガネが無くなった瞬間に、それは消滅し、「父親似の自分」が現出するという意味において、まさしく「即死」だったんだな……うん。

 メガネを失くし、「息子としての自分」という身ひとつになって、父親の死に情けなくも涙する宜野座が、これまでで一番、魅力的でありました。

 そんな親子を一瞥してすべてを悟り、数秒の葛藤を経て、槙島のほうを追う狡噛。これがまた、最高にクール。
 あえて語らない喋らない、立ち止まらない。「あえて」の部分の大きさが素敵。その心情を推し量れば、無限に広がる。

 大人だなぁ。作品そのものが。
 いまどき流行らない、行間を読ませるアニメ。まあ、設定を「読ませる」ことには失敗してしまった気がするわけですが。
 そのへんもうまくこなせていたら、現時点での私の(そしておそらく多数の)評価である良作、佳作ではなく、名作、傑作になっていたと思います。

 瑕疵があるほうが愛せたりするのも、事実なんですけどね。

 次回、最終回。
 ここまで織り上げられたドラマに、幕を下ろすのは誰の手か。

 楽しみに、大事に、待ちたいと思います。

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小説 PSYCHO-PASS サイコパス (上)
 小説版、上巻発売中。レビューがついていたのでさらっと見ましたが、何ですか縢メインのショートストーリーが載っている、ですと?それは気になる。とても気になる。
 メディアミックス展開はどれもクオリティが高そうで、嬉しいことなんですが、追いかけるのは大変だなぁと。

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