PSYCHO-PASS サイコパス#20「正義の在処」

 フィクションにおいて、人の死とは甘美なもの。
 死は、現実においては、誰にでも等しく、当たり前のものとしていつか必ず訪れる、いわば日常と地続きの単なる通過儀礼
 けれどフィクションであれば、登場人物の死には、特別な意味が課せられる。
 主人公の決意を促すものであったり、状況を混沌へと追いやるものであったり。
 ただし、その「特別な意味」……つまりは作劇上の意図が、あまりにも見え透いている場合には見る者を急激に萎えさせてしまう、という危険性を孕むものでもある。

 なお、そういった特別さとは対極にあるモブキャラの理不尽な死もまた、彼ら彼女らの「世界の外」という安全圏から俯瞰することにより、娯楽として消費される。命を軽んじることへの背徳感も、無意識の裡にあるのかもしれない。
 この作品においても、ヘルメット装着者による残忍な犯行や、中盤で描かれた暴動シーンにおいて存分に味わったのは、記憶に新しい。

 閑話休題

 縢秀星というキャラクターについて、彼の扱いについて。
 正直、個人的にはあまり興味を抱けないキャラクターでした。一見して軽薄な言動が、類型的な造形に思えたこと、序盤において朱に理不尽な論を吹っかけた(と、その時には感じられた)こと、そして(これも「個人的には」を強調しておきたい)石田彰の声と演技が、見た目とどうもしっくりこなかったこと。
 捉えどころがないわりに、狙った部分が多いキャラクターだな、などと感じられてしまい。

 彼の退場から、今回のイメージシーンまでで、これらのすべてを覆されました。
 序盤でのあの議論を、こんな終盤に来て拾い上げるとは。
 いやまあ普通に拾われるべきシーンではありますが、安易に書き流されてしまえば、縢の明るく愛敬のある振る舞いや、互いに認め合ってからの会話のシーンを入れ込んでしまいたくなるところ。空に顔を浮かべる的な演出で。
 実際そうしていたら、お涙頂戴としては、数ランクアップしたかもしれません。
 けれどきっと、縢秀星という存在が、こんなにも強く物語そのものに刻まれることにはならなかった。

 彼の皮肉。彼の矛盾。彼の強さと脆さ。
 最初期の台詞と最期の台詞が、重なり合い響きあう。石田彰の演技が添える説得力がまた、素晴らしく、少しのズレもブレもない、縢秀星という人物を構築してくれました。
 今ごろになって気づく、その魅力。

 しかし、彼の死そのものではなく、朱との関わり方、また朱が想起するその姿に、泣けてしまった。
 朱に対し、物語に対し、どれだけの楔を打ち込んだのか、と。
 視聴者たる我々に対しても、然り。

 フィクションにおける人の死の、痛みを内包する甘やかさ。とくと味わいました。 
 この先、「サイコパス」という物語を忘れても、舌に残されたこの味はきっと忘れない。

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 こりゃまた悪い子っていうかやんちゃっぽい表情だなぁ。と思ったけれど、年齢設定21歳なんだよね。普通に若い、悪ガキ年齢。幼児期から隔離されていたこともあって、精神年齢も幼い部分と老成した部分が交じり合っているのだろうけれど。
 いずれにせよ、若すぎる……な。

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