夏雪ランデブー#5
いや面白いわー。やばい面白いわー。
突然メルヒェンな世界に飛んだ時にはどうしようかと思いましたが。単なる不思議世界ではなくて、ちゃんと隠喩の込められたものになっているあたりがニクイ。
色鉛筆でほどほど器用に描かれつつも、いくぶん素人らしい拙さが滲み出ている背景がまた、見ていてじんわり来る。
葉月の反応も、いつもの葉月というキャラクターらしい低体温さ(でもしっかりプチ店長にときめいてる)を保ちつつ、順応していく様子がとても自然で、それが逆に怖くもあったりして、緊張感と楽しさの程よい同居ぐあいが、ほんと面白かった。
一方、身体をのっとっちゃった島尾の方もまた、いちいち面白い反応をいっぱい見せてくれて。
ぶっちゃけ葉月に対して酷すぎることをしてくれちゃっているわけですが、その駄目っぷりもまた、島尾というキャラクターの魅力であり。
早世した花屋の青年、という綺麗なイメージに押し込めることはせず、捻くれた性格や、溜まりに溜まった鬱屈、女々しいとも言える未練……そういった、弱いところ、駄目なところが前面に押し出されて、実にまったく腹立たしくも魅力的。
最近、ちょっと感じていること。
アニメやコミックやゲームのキャラクターに、あまりに多くを求める人が多いな、と。
誰もが納得する尊く美しい行動(文字通りの意味のみならず、理想化・偶像化したものという意味で)を取ることを望み、叶えられなければ、即座に攻撃したり「クズ」と罵る。そういう風潮が、浸透しているような気がして。
欠点だって、少し引いた目で見てみれば、あるいは角度を変えて見れば、愛すべきものという認識が可能になり、意外に美味しくいただけたりする場合もあるのに。
新しい価値観(ってそれは)に目覚めるかもしれないのに、勿体無いなあ。とか、つらつらと思う、年寄りのわたくしでありました。
島尾は、今回の行動だけを取り出すと、本当に最低な奴に見えるのですが。
六花への想いの強さ、長く病床にあり独自の価値観と諦念を抱いていたらしいこと(これはきちんと今回の話でも繰り返し示唆されていた)、六花に接近してくる葉月に対する、生きていること、若いこと、善き人であることへの強烈な嫉妬。それらを考え合わせたなら、決して、ただ斬って捨てるなんて出来ない。少なくとも私には、出来なかった。
この弱さが、醜さが、逆にとても魅力的に見えました。
さらに、声優陣の演技がまた、大きな柱となって作品とキャラクターを支える。
プレスコゆえに声優への注目度も高い作品ですが、ここでの中村悠一と福山潤の演技、ことに中村悠一は、凄いという言葉だけじゃ足りない凄さだった……。
だって島尾(福山潤→中村悠一)を演じつつ、葉月(中村悠一)も演じて、自分と自分が恋敵になって、しかも途中に絶妙なタイミングで島尾(福山潤)のモノローグも入り、そこから違和感なく声を出しての島尾(中村悠一)の台詞に繋げて、ってなんだかゲシュタルト崩壊起こしそうになってきた、うん。
とにかく、見ていて本気で感動しました。こんなシーンを見ることが(聞くことが)出来るって、なんて幸せなんだろう。とか、思うくらいに。
内容も、演技も。すべて。毎回、見応えがあります。いろいろと、存分に堪能しています。
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ああっ原作コミック3巻の表紙、誰かと思ったら、そういうことだったんだな!納得しすぎて頷きすぎて顎が外れる勢いです。嘘です。
ところで、このざんぎり頭とメガネの島尾in葉月バージョン、わたし、きらいじゃないんです……むしろ、かなりツボなんです……メガネメガネ。短髪短髪。ステキ。